美とリベラルアーツBlog

No.4 『Shakespeare THE SONNETS』

2020.12.20

11月28日に新国立劇場で『Shakespeare THE SONNETS』を観ました。構成・演出・美術原案・振付は、中村恩恵。構成・演出・美術原案は、首藤康之。音楽はディルク・P・ハウブリッヒ。28日の出演は小野絢子と渡邊峻郁(29日は米沢唯と首藤康之)。中村はパンフレットでシェイクスピアのソネット集105番を引いて、この作品は「愛の姿」を描いた作品と言い、「『Shakespeare THE SONNETS』は、闇の世界から人間の全体像をありのままに描いたものになります。人間の持つ闇に焦点を当て、その苦悩を乗り越えていく過程で、シェイクスピアのいう「真・善・美」を具現化したいという切実な希求に出会う作品です」と述べています。
一場は「私には2人の恋人がいる。慰めになる人と、絶望させる人と」、二場は「昔の人は黒を美しいとは思わなかった。思ったとしても美の名ではよばなかった」、三場は「鏡をみてそこに映るあなたの顔に言いなさい。今こそ、その顔がもう一つの顔を作るときだと」。
 舞台は暗く、踊り、パフォーマンスをする二人を光が照らす。それぞれが踊り、二人はからみあい踊る。その表情、踊り、パフォーマンス、静と動は「愛の姿」を象徴し、隠喩する。
 舞台の後方には、三面鏡と、三面鏡を照らす蝋燭。シェイクスピア作品では、己の内面を照らす鏡が重要な意味を持ちます。
 瞬間、瞬間に、流れゆく時間と動きに、小野と渡邊の表現に息をのみ、今、何を表現しているのかを考えさせられる。小野の動きは美しく、しなやかで、妖艶でもある。時に渡邊の汗がほとばしる。その肉体美と表現力とともに、肉体の強さ、強靭さも想う。
 この舞台は動による表現ですが、対極にあるような能の静による表現をも思い起こしました。シェイクスピアのソネット集105番は次の通りです。

私の歌も賛美の言葉も、どれもこれも、一人にむかって
一人について、いつも同じ調子でうたい続けるが、
だからといって、この愛を偶像崇拝とは呼んでくれるな。
また、わが愛するものを偶像などに見立ててくれるな。
わが愛するものは、今日も優しく、明日も優しく、
人にまさる見事な資質はつねに変ることがない。
それゆえ、私の詩も変るわけにはいかないから、
一つことを述べつづけて、多様な変化には見向きもしない。
「美しく、優しく、真実の」がわが主題のすべてであり、
「美しく、優しく、真実の」をべつの言葉に変えて用いる。
私の着想はこの変化を考えるのに使いはたされるのだ、
三つの主題が一体となれば実に多様な世界がひらかれるから。
美しさ、優しさ、真実は、別々にならずいぶん生きていた。
だが、この三つが一人にやどったことはかつてない。

(高松雄一訳、岩波文庫)

美しさ(Fair)、優しさ(Kind)、真実(True)は、順序を入れ替えて、真、善、美となります。